【1968年】三億円事件とは?概要と犯行手口を徹底解説

この事件のポイント

  • 事件アイコン 驚異の現金強奪劇:1968年、現金輸送車から約3億円が一瞬にして奪われた!
  • 事件アイコン 大胆な犯行手口:白バイ警官に変装し、発煙筒で混乱を引き起こし、犯行はわずか数分で完遂。
  • 事件アイコン 捜査の限界と未解決の謎:大規模な捜査にもかかわらず決定的な証拠が見つからず、時効成立で真相は闇に消えた。
  
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監修者プロフィール

夜明けの探偵

学生時代から未解決事件やミステリーに目がない事件オタク。法政大学卒業後は一般企業に勤務する傍ら、趣味で事件簿ブログを運営中。最新の犯罪ニュースから昭和の迷宮入り事件まで、幅広く発信している。

目次

三億円事件とは?(概要)

1968年(昭和43年)12月10日の朝、東京都府中市で約3億円もの現金が強奪される事件が発生しました​

この事件は、犯人が白バイ警察官を装って銀行の現金輸送車を停止させ、巧妙な手口で現金を奪ったことから、「三億円事件」として広く知られています​

被害に遭った現金は東芝府中工場の従業員に支給予定だったボーナス資金で、合計額は2億9430万余円(当時の金額)に上りました。犯行はわずか数分の間に行われ、犯人は現金輸送車ごと姿を消し、現在に至るまで未解決事件となっています​。

約7年後の1975年に公訴時効(起訴できる期限)が成立し、犯人逮捕の望みは絶たれました​

事件の詳細と手口

犯行の流れ

STEP
現金輸送車の出発

1968年12月10日午前9時頃、日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場に向けて現金輸送車が出発しました。輸送車にはジュラルミンケース3箱に詰められた従業員523人分のボーナスと事務費、計約2億9430万円が積まれており、運転手と銀行員あわせて4名が乗車していました。

STEP
白バイ警官による停止

午前9時20分頃、府中刑務所の北側に差し掛かった現金輸送車の背後から1台の白バイが接近しました。白バイに乗った若い警察官(実は犯人)は車の前方に回り込み、手で合図をして輸送車を停止させます​。

警官に扮した男は「巣鴨署からの緊急手配で、支店長宅が爆破された。この車にもダイナマイトが仕掛けられている」という趣旨の嘘を伝え、車の中や下部を点検しようとしました​。

STEP
爆発予告と偽の煙

警官に成りすました犯人が車の後方に回り込んで確認すると、「あったぞ!ダイナマイトだ!爆発するぞ!」と大声で叫びました​。

実は犯人が車の下に仕掛けた発煙筒が白煙と赤い火を出し始めただけでしたが、4人の銀行員らは本物の爆弾だと思い込み、慌てて車外へ避難します。犯人はその隙に運転席に飛び乗り、輸送車を急発進させて逃走しました​

STEP
残された白バイと通報の遅れ

犯人が現金輸送車とともに走り去り、現場には偽装された白バイだけが残されました。銀行員たちは当初、警官が爆発物から車を遠ざけてくれていると思い込み、近くの塀の陰などに身を潜めて様子を見ていました​。

しかし約15分後、白煙が収まっても警官も輸送車も戻らず、残された白バイが本物ではない(ヤマハ製の市販バイクを白く塗装したもの)と気づいたことで、ようやく強奪事件だと判明します​。

銀行員から支店への連絡は混乱の中で行われ、初動で警察への110番通報が遅れてしまいました​。

警察が正式に事件を認知したのは犯行から十数分後の9時35分頃で、このタイムロスが犯人を取り逃がす一因となりました

なぜこれほど巧妙だったのか?

周到な準備

犯人は犯行前に綿密な計画を立て、多数の偽装や小道具を用意していました。現場に残された遺留品は約153点にも上り​、偽の白バイや逃走車両は事件前に盗難した車両を改造して使用する念の入れようでした​。

警察官への成りすまし

白バイ隊員に変装し、実際に白バイ(偽装車両)まで用意したことで、銀行員たちは犯人を本物の警官だと信じ込んでしまいました。さらに犯行4日前には銀行支店長宅に爆破を予告する脅迫状が届いており、犯人はその情報を逆手に取って嘘の爆弾騒ぎを信じ込ませたのです

証拠を特定させない工夫

残された多数の物証はどれも市販品や盗品ばかりで、決め手となる手がかりには欠けていました​。たとえば現場に残されたトランジスタ式の拡声機(メガホン)は特注品でしたが、犯人は同型の他の機器を事件前に盗み出す徹底ぶりで、物的証拠から個人を割り出すことが困難でした​。

迅速かつ大胆な犯行

犯行時間はわずか数分で、雨の中で敢行されたこともあって目撃者も限られていました。犯人は緊急時の警察官という権威を利用し、相手に疑う隙を与えないまま一気に現金を奪取しています。誰一人負傷者を出さず、銃器も使わない「劇場型犯罪」であったことも、その巧妙さを際立たせています。

警察の捜査と未解決の理由

どのように捜査が行われたか

事件直後、警視庁は大規模な特別捜査本部を設置し、捜査を開始しました。現場に残された証拠品は約150点以上にのぼり、それらの解析や指紋採取が徹底的に行われました​。

また、府中市内や周辺で不審人物や車両の目撃情報を集め、犯人の足取りを追跡します。実際、強奪された現金輸送車は事件発生から約1時間後、現場近くの雑木林で乗り捨てられているのが発見されました​。

犯人はさらに別の逃走車両に現金を積み替えて逃げたと見られ、周辺で複数の盗難車(偽装に使われた緑色や紺色のトヨタ・カローラ)が相次いで見つかっています​。

捜査線上に浮かんだ有力な容疑者の一人が、当時18歳の少年Sでした。Sは白バイ警官を父に持ち、過去に似たような手口の窃盗事件を起こしていた経歴がありました​。

犯行目撃者である銀行員4人に面通しをした際も、多くがSに「よく似ている」と証言しました​。

しかし、Sは事件の5日後に自殺しており、さらに証拠の切手の唾液型がSと一致しないなどの理由から、後に公式に容疑から外されています​。

警察は他にも膨大な捜査を展開しました。犯人像として「現場周辺の地理に詳しく、自動車の整備知識がある者」といった推定を立て、自動車修理工からカーマニアまで幅広く洗い出しました​。

日本信託銀行や東芝の内部関係者の関与も疑われ、関係者への聞き取り調査も行われました​。

さらに、犯人の声の特徴から音声によるモンタージュを作成し、テレビ番組で公開するといった異例の捜査手法も試みられました​。

それでも決定的な手掛かりは得られず、捜査は難航しました。

なぜ未解決のまま終わったのか?

物証から犯人を特定できなかった

現場に多数の証拠品が残されたものの、それらはいずれも大量生産された市販品や盗難品で占められており、個人を特定できる決め手に欠けました​。科学捜査も現在ほど進歩しておらず、指紋や血液型鑑定はされましたが、当時はDNA鑑定などはなく、犯人を絞り込むには至りませんでした。

計画の巧妙さと大胆さ

犯人は周到に計画を練り、当日の状況(雨天や脅迫状の存在)も最大限に利用しました。警察官への変装によって被害者の警戒心を解き、短時間で逃亡しています。不審に思われにくい手口だったため、目撃情報も乏しく、捜査は難航しました。

有力容疑者の不在

早期に疑われた少年Sは自殺や証拠不一致によりシロと判明し、それ以降は決定的な容疑者が現れませんでした。マスコミによる過熱報道もあり、真犯人像については様々な憶測が飛び交いましたが、裏付けられる人物は見つからなかったのです。

捜査の限界とタイムリミット

延べ17万人以上の捜査員を投入し、約2万8千件もの情報提供が寄せられる大捜査となりましたが​、1975年に時効を迎え、公訴権が消滅したことで捜査本部も解散しました。こうして三億円事件は真相が解明されないまま、未解決事件として幕を閉じたのです。

三億円事件が日本社会に与えた影響

この未曾有の事件を受けて、金融機関や警備業界では現金輸送の警備体制が見直されました。

例えば、現金輸送車に無線通信機を搭載し、異常事態が発生した場合にすぐ警察や本部へ連絡できるようにする措置が取られました。また、警察官に停止を求められた際でも安易に信用せず、警察本署への照会や身分証の提示確認を徹底するよう輸送員への教育が強化されました。

複数人での警備や護送車の装甲強化など、現金輸送のセキュリティ強化が図られるきっかけとなったのです。

三億円事件はまた、社会に大きな衝撃を与え、その後の報道や大衆文化にも影響を残しました。「戦後最大のミステリー」と称されるこの事件は、多くの書籍やテレビ番組、映画の題材となり、人々の関心を集め続けています。

被害額が巨額であったものの保険によって補填され、負傷者も出なかったことから、犯行の大胆さにある種の感心を示す向きもありました。こうした世間の反応は、警備への意識を高める一方で、犯罪への教訓として語り継がれています。

まとめ:事件の教訓

三億円事件は、巧妙な犯罪計画がいかに警備の盲点を突くかを示した象徴的な出来事でした。

この事件から得られた教訓は、現代にも生かされています。例えば、警察官や権威ある人物に見せかけた詐欺や不審な指示に対しては、常に真偽を確認する慎重さが求められるという点です。企業側も、想定外の手口にも対応できる柔軟な警備体制づくり社員教育の重要性を再認識しました。

未解決のまま時効を迎えた三億円事件ですが、その存在は決して風化していません。

事件の詳細や手口、捜査の過程は今なお語り継がれ、防犯意識を高める教材のような役割も果たしています。「絶対に捕まらない完全犯罪」は現実に起こりうるという警鐘でもあり、私たち社会にとって、今後もこの事件の教訓を忘れずに活かしていくことが求められていると言えるでしょう。

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